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横浜地方裁判所川崎支部 昭和50年(ワ)234号 判決 1978年10月26日

原告

豊川啓義こと李啓樹

被告

重城忠勝

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金八〇〇万円及びこれに対する昭和四〇年六月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、昭和四〇年六月二〇日普通貨物自動車を運転し、川崎市中原区宮内三〇五番地先の信号機のある交差点を小杉方面より溝の口方面に向け進行中、前方注視を怠り前車と十分な車間距離をとることなく進行し、かつ、ブレーキを踏みはずした過失により、信号に従い一時停止中であつた原告運転の普通乗用車に追突した。

2  原告は、右事故により頸部捻挫、腰部挫傷等の傷害を受け、関東労災病院等で治療したが完治せず、昭和四〇年一二月当時の後遺障害等級六級(現在の八級相当)の後遺症と認定された。

しかるに、その後症状が悪化したため精密検査したところ、昭和五〇年五月二八日同等級二級(現在の四級相当)の頭部外傷症候群と診断された。

3  右増悪した後遺症についての慰藉料(増加分)は七〇〇万円、弁護士費用は一〇〇万円が各相当であり、原告は合計八〇〇万円相当の損害を蒙つた。

4  よつて、原告は被告に対し民法七〇九条により右損害の賠償を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実のうち、原告主張の日時場所において被告運転の普通貨物自動車が原告運転の普通乗用車に追突したことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告の主張

1  本件事故当時原告はタクシー会社の運転手であつて、後部座席に乗客二名を乗せて運転中であつたが、右乗客二名も本件追突に気付かなかつた程度で、追突は極めて軽微であつた。右の事故内容から考えて原告がその主張の如き傷害を受けたものとは到底考えられず、本件事故と原告主張の後遺症とは因果関係がない。

2  仮に本件事故と原告の現在の後遺症との間に因果関係があるとしても、原告は早期治療で完治し得るのに、治療に専念しなかつたため、現在の後遺症を招いたものであり、原告にも過失がある。

3  原告と被告側は、昭和四一年三月八日、自動車強制賠償保険より一、三〇二、〇四五円、グレートアメリカン保険会社の任意保険より一、三〇〇、〇〇〇円支払をなすことによつて示談が成立した。その際、原告は被告に対し、今後如何なる要求もしないとして、右保険金の外に示談外で三〇〇、〇〇〇円の支払を求め、被告は右の金員を支払つた。したがつて、本件事故については示談成立ずみで、被告には賠償義務はない。

4  かりに、本件事故と原告の現在の後遺症との間に因果関係ありとしても、原告は右示談成立の際には現在の症状及びこれによる損害を知りもしくは予測できたはずであるから、原告はこの時には損害を知つたものというべきであるところ、右示談成立後本訴提起まで九年近く経過しているので、本訴の損害賠償請求権は時効により消滅した。よつて、被告は右時効を援用する。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張第1項の事実中、原告がタクシー会社の運転手であつたこと、乗客二名を乗せて運転中であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  被告の主張第2項の事実は否認する。

3  被告の主張第3項の事実中、原告が自動車強制賠償保険金を受領したこと、グレートアメリカン保険会社より任意保険金一、三〇〇、〇〇〇円を受領したこと、被告から直接三〇万円受領したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告主張の示談は原告の昭和四〇年一二月当時の後遺症を前提としたものであつて、原告の本件の現在の後遺症(増加分)の賠償とは関係がない。

4  被告の主張第4項の事実は否認する。原告が現在の後遺症の認定をうけたのは、昭和五〇年五月二八日である。それ以前においては、原告はもとより医師ですら現症状が予測できなかつたものであり、原告はそれ以前には損害を知らなかつたものというべきであり、時効は完成していない。

第三証拠〔略〕

理由

一  被告運転の普通貨物自動車が、昭和四〇年六月二〇日、川崎市中原区宮内三〇五番地先の信号機のある交差点において、原告運転の普通乗用自動車に追突したことは、当事者間に争いがない。

そして、原本の存在及び成立ともに争いのない甲第二、第三号証、成立に争いのない甲第九号証の一、二、乙第一号証並びに被告本人尋問の結果によれば、右追突は、被告が先行車との間に十分な車間距離を保たないで進行した過失によるものであること、原告は昭和五〇年五月二八日にいたり関東労災病院の医師大野恒男から労災保険身体障害者等級第四級に相当する障害があるものと診断され、そのとおり認定されたことが認められる。

二  そこで、本件事故と原告の右身体障害との間に因果関係があるかどうか判断する。

前掲甲第二、第三号証、乙第一号証、原本の存在及び成立ともに争いのない甲第八号証の一ないし一五、乙第二、第三号証、同第七、第八号証、成立に争いのない乙第五、第六号証、同第九ないし第一六号証、証人重城重司、同大野恒男、同八木勝郎、同渡辺善勝、同西丸與一の各証言、鑑定人西丸與一の鑑定の結果、原、被告各本人尋問の結果を総合すれば次の事実が認められる。

1  本件事故の際の追突の衝撃は軽微であり、被告車助手席同乗者は全くその衝撃を感じていないし、原告運転のタクシーの乗客二名には負傷はなかつた。原告運転車には、その後部バンパー中央やや左方に外周直径数センチメートル、深さ一、二センチメートル位の小さい陥凹があるほか目立つた損傷はなく、テールランプ、フエンダーに破損はない(原告車所有者川崎交通株式会社から保険会社に対する請求書によれば、リヤーバンパー交換、バンパー脱着ステー修正、右リヤーコーナーパネル及びテールポート叩出板金、塗装仕上合計一三、七〇〇円となつている)。

2  原告は、右衝突の際自己車の乗客に首の骨は折れなかつたかと極めてオーバーな質問をしている。又、関東労災病院医師及び鑑定人西丸與一に対し、ドアーがあいて外に転落し、追突後数秒ないし一〇秒位意識を失つた旨述べているが、右1認定の事実に照らすと右のような事実は認めることが困難であり、極めて誇張した表現と認められる。

3  原告は、事故当日東横病院で応急措置をうけ、昭和四〇年六月二二日から同月二五日まで鹿島田病院に入院して治療をうけたが、同病院では鞭打症、腰部挫傷で腰部に激痛を訴え、圧通著明であり、レントゲン線の所見では腰椎に異常を認めず、索引法で鎮痛あり、補液等施行、疾痛軽減との診断がなされた。

4  ついで、原告は、同月二六日より同年八月一二日まで菊池病院に通院、往診による治療をうけ、同病院では頭部、頸部及び背部打撲症、六月三〇日より七月七日まで温泉治療の必要ありと認める旨の診断をされた。

5  ところが、原告は、右温泉治療を必要とされた六月三〇日午後七時四〇分ころ川崎市鹿島田二〇五番地面川荘の自己居宅において家賃の催告に来た面川一美(当五九年)、同面川松江(当四七年)に対し両名を手で突き飛ばし更に松江の腹部を足蹴りにする暴行を加え、よつて松江に対し加療約三週間を要する腹部挫傷を負わせ、川崎簡易裁判所において略式命令によつて同年七月七日罰金一万円に処せられた。

6  その後、原告は、関東労災病院で昭和四〇年八月二三日から同年九月二〇日まで入院、その後同年一二月ころまで通院治療をうけた。右病院においては、同年一〇月一五日現在では頸部捻挫(鞭打ち損傷)で頭重感、眩暈、頸部運動痛、手粗大筋力低下(握力低下左右一七)、視力低下などがあり、ホルネル症候群も合併、後遺症固定性で将来軽作業以外の就業は困難、労働者災害補償保険級別七級と診断され、同年一一月二六日には、後遺症固定性のため同年一杯で加療は打切るが、なお、その後六カ月は安静が望ましいと診断された。

7  原告は、昭和四二年一二月二六日他人の交通事故の示談金二、四六〇、二二八円を預り保管中これを着服横領し、川崎簡易裁判所において昭和四四年四月二八日懲役一〇月執行猶予三年の判決言渡をうけている。なお、この判決では原告の職業は土建業とされている。

8  原告は、昭和四三年六月二〇日、栗田病院において、頸部捻挫腰部打撲後遺症で頭重感、眩暈、頸、腰部運動痛、手粗大筋力低下等があり、今後も加療すれば漸次或程度の改善は望まれると思われるが、加療しない場合は同様状態が継続すると思われる、視力は回復しつつある旨の診断をうけた。

9  さらに、原告は、昭和四三年一二月一日より同四六年一二月三一日まで菊池病院で頭部頸部外傷症候群並びに胸腰部挫傷と診断されて通院治療をうけたが、昭和四六年六月二〇日の現症は頭重感、後部頭痛、眩暈、四肢知覚異常、四肢運動不自由、不眠、根気がなく疲れ易く物忘れ、情緒不安定等不定愁訴あり、労働能力なしと診断された。

10  原告は、日本鋼管病院において、昭和四九年二月二三日初診同年一一月一九日より約一カ月頭部頸部外傷後遺症、うつ病、胃炎、前立腺肥大症、食欲不振、胸痛、めまい、手足しびれ、歩行線障害ありとして入院した。そして、同病院で昭和五一年二月九日の現症として、頭部頸部外傷症候群、胸腰部挫傷で後頭部痛、四肢知覚異常頸椎腰椎運動制限、情緒不安定、不定愁訴続くと診断された。

11  原告は、昭和五〇年四月一一日から安土外科医院で治療をうけ、同年八月二〇日頭部頸部外傷症候群、胸腰部挫傷で安静加療を要するものと診断され、同五一年二月九日の現症は後頭部痛、四肢知覚異常頸椎、腰椎運動制限強く情緒不安定、不定愁訴続き、歩行にも杖の介助を必要とし現在労働能力全くなく将来その可能性なしと診断された。

12  関東労災病院医師大野恒男の昭和五〇年五月二八日付の意見書では、原告は頭頸部外傷症候群、胸腰部挫傷で、昭和四〇年当時の診察所見に比し著しい骨変化(骨棘形成)の進行があり、単に年齢加齢現象のみとは考えられない程度であり、昭和四〇年と同五〇年の頸椎レントゲンを比較すると第四ないし第六ことに第五椎体の変化が著明で前方には石灰化があり骨移植でも行つたかのように進行しており、前記一のとおり障害等級は四級に相当するものと考えられる、もつとも昭和四〇年の骨棘形成は本件事故以前から形成されていたものと思われるとのことであつた。

13  鑑定人西丸與一は、原告について昭和五二年一一月一八日事情聴取、診察、レントゲン撮影し、本件一件記録を閲覧した結果に基づき、原告の現在の症状は事故のみによつて起つたとは考え難く、受傷以前より頸椎に何らかの骨変化があつたと考えられる、そして、現在の著しい変性性変化は、原告の本来素因として持つていた特異な体質によつて急激な変化を来したものであり、年齢的加齢現象と体質的なものが競合して変性を来したものであつて、本件のごとき事故から原告のような後遺症が発生するとは通常予想できないが、事故との直接の因果関係が当然ないとは云い切れず、あるとしなければならないが、事故が刺戟或は引き金の役目をしたという考え方をすべきであろうとの鑑定をした。

14  なお、原告は、大正五年一一月一七日生れで、事故当時四八歳、昭和五〇年五月頃五八歳であり、被告は本件事故について、原告に加療約三カ月間を要する傷害を負わせたとして業務上過失傷害として略式命令により罰金三万円に処せられている。

以上の事実が認められる。

原告本人尋問の結果中には、本件事故後原告は現在まで車を運転したことも職業をもつて働いたこともなく、温泉療養を行つた旨の部分があるが、右尋問の結果及び前掲乙第一号証、同第七号証、同第一〇号証によれば、原告は本件事故後間もなく、医者より温泉療養が必要とされた期間中に自宅で暴行、傷害事件を起していること、本件事故当時タクシー運転手で借家(アパート)に住んでいたのに、昭和四四年は土建業を営んでいたものと刑事判決書に記載されており、同四六年には、原告の自認するところでは、かなり広い木造の家と車三台を所有していたことが認められること、昭和四二年には二四〇万円をこえる金額の着服横領事件を起していること等に照らして、右供述をにわかに全面的に信用することはできない。

又前掲甲第二、第三号証の記載中及び証人(医師)大野恒男の供述中には、本件交通事故による外傷の因子が原告の頸椎の骨棘形成の進行に参与していると思われる、又下部胸椎に著しい骨棘形成がみられるが、昭和四〇年には撮影していないので比較はできないが、交通事故の影響が加わつた可能性がある旨の部分があるが、右は、前記2認定のとおり極めて誇張した原告の供述等が基礎となつているものと考えられること、前掲甲第三号証によれば、経済的理由により原告が適当な療養が受けられないのであれば再発の取扱とし、傷害補償年金を受けさせるようにしたいとの同医師の配慮が働いているものと認められること、右証人の証言によれば、昭和五〇年三月までの間大野恒男医師が原告を診察したのは昭和四〇年八月に一回のみであることに照らして、にわかに信用できない。

その他、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三  前記認定事実によれば、本件事故と前記4の菊池病院での昭和四〇年七月七日まで温泉治療の必要ありとされた頭部、頸部及び背部打撲症との間の相当因果関係は明らかである。

しかしながら、前記認定の事実、ことに、本件事故の衝撃の程度、事故後間もなく原告が温泉治療を必要とする期間中に暴行、傷害事件を起していること、現症発現まで事故後約一〇年の経過があるが、その間治療中断の期間(ことに昭和四〇年末頃から同四三年六月ころまで)があること、頸椎部分にみられる骨棘形成は事故前からあり、その変性は加齢現象に加えて原告の本来素因として持つていた特異な体質によるもので、事故との関係はあつても極めてうすいと考えられること等からみて、本件事故と原告の現症との間の条件関係の存在さえも疑わしいのみならず、かりに条件関係が存在するとしても、原告の現症が本件事故から通常生ずる損害であること、換言すれば、相当因果関係が存在するものとは認め難い。さらに本件事故当時本件のような原告の症状が発現するに至るという特別事情の予見が可能であつたことを認めるに足りる証拠はない。

四  そうすると、その余の点について判断するまでもなく原告の請求は失当であるので棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 日浦人司)

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